あかり

あかりとは、人が暗いと感じる場所で、活動するために必要な光という意味であるが、それは、単に活動時に視覚的な安心を得るためのものという意味以外に、なにか、言葉のなかに感情を揺り動かす響きを感じます。それはおそらく、あかりが、暗闇との相関によって成り立つもので、明暗の対比でなくグラデーションの中に様々な「あかり」が存在し、その中で美しいと感じるどこか精神的な部分を刺激するバランスが存在するからではないだろうか。

特に照明によるあかりは、時代に敏感に反応し、現代の社会では様々な様相を帯びている。おかげで暗くなってからの活動も、日中と変わりなく過ごせるまでに至っている。あかりは日常生活何気なく使っているが、改めて考えてみると原始社会より、電球が発明される百何十年前までは、夜は、月と火のあかりしか無く、あかりの重要性は、日常強く意識されていたに違いない。現在大きな苦労もなく手に入る日常生活のあかり、改めて強く意識する時がある。そう、地震や事故による停電である。ろうそくや懐中電灯だけの心細さにあかりを強く意識する。最近までは、そんなときしか、改めてあかりを意識することが、無かったように思うが、このごろ、日常生活において、あかりの癒しの効果を求め、その質を求めていく人たちが急増している。そんな中、建築における照明効果も非常に重要な要素として取り上げられている。

照明器具以外にも人々は日常生活の中で多くのあかりを目にしている。暗い部屋の障子に差し込む透過光、暖炉やろうそくの火のあかり、月のあかり、蛍のあかり、暗闇に映る水面の反射光、雨の日の路面のネオン等々。それは、心に残る安らぎであったり、凛とした緊張感であったり、寂しさであったり、いろいろな雰囲気を演出し、心理的、生理的効果を強く生み出す。

建築のあかりは、暗くなってからの日常生活や作業のための電灯一つという考え方から、もう一歩踏み込んで、人の暮らしに適した、より豊かな気持ちになる照明環境を心理的、空間的効果をうまく調和させながら、考えて行く必要があると思います。

                                                                                                                    

白熱灯が世の中から姿を消す日 2008/04/22

先日、某照明器具メーカーから3年後あたりをめどに白熱灯が市場から姿を消す方向に向かうとの話を聞いた。昨年末に経済産業省からCO2削減の省エネ基準の一環として方針が決まったそうである。

大手の照明器具メーカーは右にならえとなるそうで、白熱灯の暖かさを好んでいた私にとって、ショックでならない。これで白熱灯も古き良きもののカテゴリーに追いやられるのかと思うと残念でならない。技術の進歩と共にまた一つ庶民的で美しいものが最新技術に取って代わられ、生産を終えていく。

今後、設計の際も充分考慮していく必要がありそうである。